議論というのは、一種の「技術」です。

なので、議論に参加する人々に「技術」がないと、まともな議論にはなりません。また、「技術」があると、水掛け論にしかならない議論を回避することができます。

いま、世間でなされている議論(のようなもの)に対する批判です。

主張とは何か

議論の前に、主張とは何かについて少し。

主張というのは、論証責任を伴う言説です。形で言えば、述語(述部)において、相対的な形容詞を用いたり、主観を表す動詞や助動詞を用いたりするものです。

たとえば、「今日の気温は30度です」は、事実を述べただけで、主張ではありません。

しかし、「今日は暑いですね」となると、「暑い」が相対的な形容詞が述語になっていますので、主張になります。主張ですから、論証責任が生じます。

論証とは、客観的根拠を用いて、その主張の正当性を理由付けすることです。「今日は暑いですね」の客観的根拠は、さっきの「今日の気温は30度です」あたりになるでしょうね。言うまでもないことですが、論証責任のある言説を客観的根拠にすることはできません。

これだけでは論証とは言えません。だって、平均気温が50度だったら、30度は涼しい方になる。

だから、理由付けが必要なんです。「この地域では、平均気温が20度だから、30度は暑いのです」と言えば、とりあえずの論証責任を果たしたことになります。

ただ、まだまだ完璧ではないんですね。

というのも、理由付けの部分は、論証責任を伴うことがあるのです。「暑い」と相対的な形容詞が述部に来ています。平均気温が20度とは言え、夜中にマイナス150度まで下がり、日中は100度まで上がる地域かもしれません。それだと、30度はまだ涼しい。まぁ、ここまで極端でなくとも、そういう反論はあり得ます。

このように、主張は、その理由付けが新たな主張となる形で、階層をなしていきます。これが論証責任がなくなるまで続きます。さっきの例ですと、日本では「気温30度は暑い」という共通の認識があると言えますから、「今日は暑い」だけか、せいぜい「気温が30度」で完結するでしょうね。

こういうのは、国語教育の範疇ですが、これを説明できない国語教員の多いこと。

正しい議論

主張の基本を押さえましたので、本題の議論の話です。

議論は、主張と主張のぶつかり合いというイメージが大きいですが、実際は、主張自体を攻撃するのはNGでして、客観的根拠と理由付けを揺さぶることになります。

たとえば、相手の主張「今日は暑い」の客観的根拠の「気温が30度」が誤計測で、正確には「10度だった」と攻めるわけです。客観的根拠が崩れれば、主張は自ずと崩れることになります。客観的根拠と理由付けを崩すことで主張を崩す、これが正しい攻め方です。

水掛け論の仕組み

ところが、世の中の議論の多くは正しく攻められていません。

客観的根拠を崩せない場合、理由付けを崩すことに躍起になるんです。しかも、理由付けは、それ自体が論証責任を伴うのに、その論証責任を果たそうとはしません。

それで、自分たちの解釈を元に攻める形になってしまうんです。

こうなると、論証責任をなくさないといけないという前提が崩れます。論証責任を放棄してしまったら、もはや主張とも呼べません。これが水掛け論です。決着がつきません。

まとめ

そんなわけで、議論についての話でした。

具体的に言えば、「三角ロジック」の一端について話したことになります。三角ロジックは、ディベートの基本となる論理の型で、欧米では小学生でも使いこなします。

ものごとは、「技術」によって、よくも悪くもなります。

このことを理解していない人が多いんです。そういう人は、精神論が好きだったり、人格攻撃が好きだったりします。「技術」がないから野蛮な方法を採るわけです。

世の中の議論を見てください。議論の「技術」がないせいで、水掛け論を避けることができず、決着がつかないことにイラついて人格攻撃を始める人の多いこと。みんなに「技術」があれば、9割ぐらいのそういう争いは防げるんじゃないかと思うのですが、客観的根拠はありません。