今月の中頃、静岡県立大学の女子学生が逮捕されました。

彼女の容疑は、今年3月、生まれて間もない女児の遺体をビニール袋にくるんで、牧之原市の茶畑付近に遺棄したというもの。ありがちな事件と言えば、ありがちな事件です。

どうでもいいですが、「茶畑付近」と濁しているのは、風評被害を考えてのことですかね。

それはさておき、彼女は、看護学科の学生でした。県内ニュースでは、その看護学科の関係者(教授?)がインタビューに応え、「本来なら人の命を守るべき立場にある看護学科の学生なのに」的なことを言っていました。まぁ、そう言いたくなる気持ちは分からないではありません。

でも僕は、その言葉に反感を覚えるんですね。以下、屁理屈。

よくある話

遺棄された女児は、当該の女子大学生が産んだものと見られています。

大学生という立場で妊娠し、周りに相談することもできず、人知れず出産したものの、どうしていいのか困り果てた末に、遺棄したということでしょう(殺害の事実は不明)。

この手の事件は、昔からあります。ありがちな事件なんです。

でも、なんで昔からある、ありがちな事件が、ありがちなまま放置されているのか、僕は不思議でなりません。こういう結果にならない道を用意していれば済む話ですから。

赤ちゃんポスト

赤ちゃんポストは、その道の一つです。

賛否があるのは承知していますが、それでも、今回のような最悪の事態と、子供の命とその母親も幾分か救われることを比較すれば、ないよりはあった方がいいに決まっています。議論のための議論ではなく、現実的な比較論こそ重要です。

そういう意味では、赤ちゃんポストを批判したいなら、それ以外の、マシな選択肢を用意したらいいんです。他のマシな選択肢が充実すれば、赤ちゃんポストは自ずと無用になります。

知恵の限界

でも、赤ちゃんポストを批判する人は、そういう選択肢を出しません。

おそらく、出せないんでしょう。知恵がないのだから仕方がないと思います。バカにしているような言い方ですが、別に、バカにしているのではありません。

赤ちゃんポストという発想だって、知恵がないんですよ。

知恵がないなりに、現実的によりマシな道はないかを考えて捻り出したものに過ぎません。手放しにいいとは言い難い、そんな違和感を持ってしまうのは、そのせいではないでしょうか。

「親は子供を育てられなくて当たり前」

では、こういった事件を防ぐにはどうしたらいいのか。

一つは、親には子供を育てる能力がないという事実を受け容れることです。「親は子供を育てられて当たり前」から、「親は子供を育てられなくて当たり前」へと認識を改める。

現状の「親は子供を育てられて当たり前」という認識は、育てられない親を問題視します。

これでは、育てられない親は、誰かに相談したくても、問題視されるかもしれないのですから、相談できないじゃないですか。最悪、子殺しをするしかありません。

また、昨今、育児支援の充実を求める声が高まっています。

でも、考えてみてください。「親は子供を育てられて当たり前」なら、育児支援なんか不要じゃないですか。自立できると言っている限り、支援が厚くなることはあり得ません。

「親は子供を育てられて当たり前」という価値観と、子育てに苦しんでいる実態とが矛盾を起こしているんです。実態を価値観に合わせられないから苦しいのですから、価値観の方を実態に合わせて、実態に合わせた対策をとるしかないじゃないですか。

だから、認識を改めろと言っているわけです。

若者の妊娠出産

もう一つは、若者の妊娠出産を受け容れるということです。

日本人は、若者の妊娠出産に対して冷たいんですよね。その理由は、「自分たちだけでは育てられないくせに」という責任論と、不純だとか汚らわしいという感情論だと思います。

責任論に関しては、価値観を「親は子供を育てられて当たり前」を「親は子供を育てられなくて当たり前」に改めて、支援が厚くなれば、解決できる話です。子育て支援を目いっぱい活用して育てればいい。よって、責任論を論ずる必要はなくなります。

問題は、感情論の方です。

たとえば、高校生が妊娠したとなると、周囲の感情論に押しつぶされることが普通です。これをひっくり返すのは至難の業です。どうしたらいいんでしょうか?

僕はそういう感情論を持っていないので、よく分からないところなんです。

いまの年金制度が存続すると考えれば、若い人の頭数が増えて欲しいと思っているからかもしれません。極端な話、僕が年金をもらうようになったとき、若い人が10憶人とかに増えていれば、かなり豪勢な老後を送れるじゃないですか。

そういう意味では、「若者はどんどん産め」が僕の感情論なのかもしれません。

見せかけの先進国

で、ここからが本題です。

海外の高校や大学には、託児所があったりします。子供の有無によって、教育を受ける権利が侵害されないようにしているのです。

日本では、子供の有無によって、教育を受ける権利が侵害されるのが普通です。子供ができたら「学校を辞めろ」と言われる。そういう事例が後を絶ちません。学業と育児の両立は許されないので、どちらかを選び、どちらかを捨てなければならないのです。

さて、話が戻ってきました。

当該の女子大学生は、相当、悩みに悩んだだろうと思うのです。学生という身分での妊娠出産は認められないし、学業と育児の両立も許されない。

社会に先進国レベルの受け入れる度量があれば、子供ができておめでたい話で看護師を目指すのを応援すべき話でしょ。それなのに、見せかけの先進国だから、女子学生は苦悩の中で我が子の遺体遺棄(下手したら殺人も加わるかもしれない)を犯し、世間は彼女を中傷する。

こんなの、やるせないですよ。

本来なら

その上、静岡県立大学看護学科関係者のあの言葉です。

「本来なら人の命を守るべき立場にある看護学科の学生なのに」。これが言えるのは、社会や大学に、彼女とその子供の境遇を受け容れる体制があることが前提ですよ。

調べた限りでは、県立大学に託児所はありません。学生と子供をケアする仕組みもない。

もし、この女子大学生が大学側に相談していれば、自主退学という形で辞めさせられたんじゃないですかね。本来なら学生の教育を受ける権利を行使させるべき立場にある大学なのに。ましてや弱者に寄り添う看護師を育成する学科なのに。

まとめ

そんなわけで、例によって、若者を攻撃する年寄りに腹が立ったという話でした。

価値観の転換、権利意識の改め、偏見からの脱却、それぞれが少しでも進めば、こんな悲しい事件は起こりにくくなります。少なくとも、みんながいまより確実にハッピーになるはずです。

と、そんな風に思っているのですが、楽観的、能天気な考え方なのかなぁ。

余談ですが、以前にも似たようなことを書いた気がするなと思って調べてみたら、昨年6月に書いていました。「高校生の妊娠」。今回のタイトルは、これに倣いました。

内容的には、今回の方が一歩進んでいると思いますが、今回は触れなかったこともあるので、この話題に興味のある方は併せて読むといいと思います。