たまに、少人数学級実現のための署名を求められます。

少人数学級とは、学級の児童生徒数を15~25人にすることで、行き届いた教育を実施しようというものです。現在は、小学校の低学年で35人学級が実現しています。

僕は教育に熱心なので、署名してくれるだろうと思うんでしょうね。

でも、僕は少人数学級には反対の立場なので、署名は断っています。すると、意外な顔をされるんですね。なんか、少人数学級が絶対的な正義だと勘違いされているようで。以下、屁理屈。

メリットとデメリット

少人数学級には、メリットとデメリットがあります。

というか、どんなことにだって、メリットとデメリットはあるんです。それらを天秤にかけて、メリットの方が大きそうだと判断したら、採用するわけです。

少人数学級のメリットは、教師が子供を見やすいという点につきます。

それによって、これまでは看過されてきた問題を把握、解決しやすくなると期待されています。海外の学校では、少人数学級の成果が出ていると見る向きが強いです。

一方、デメリットは、教員の人件費、教員の質の低下などが挙げられます。

少人数学級が進むと、学級数が増えますから、教員を増やさなければなりません。人件費が余計にかかりますし、教員採用のハードルが下がることで教員の質の低下が懸念されます。

また、学力格差が広がるという研究報告もあります。教員の能力差が、子供の学力差として表れやすいんだとか。実際にその論文を読んでいないのでアレですけど、まぁ、大きな船の舵取りより、小さな船の舵取りの方がふらつきやすいということかもしれませんね。

とにかく、少人数学級には、メリットとデメリットがあるんです。

教員と子供のマッチング

僕は、もう一つのデメリットがあると考えています。

それは、教員と子供のマッチングの問題です。相性というのは、人間関係においてものすごく重要な要素なのに、なぜか後回しにされる傾向がありますよね。

よく、「何を言うかが問題ではなくて、誰が言うかが問題だ」と言われます。

これはその通りで、たとえば、僕の言葉はあまり受け入れられません。全方向にケンカを売って、全方向から嫌われるスタイルを貫いているので、仕方のないことだと思っています。でも、同じことを、人望のある人に言わせたら、瞬く間に広まったというケースが多いのです。

なので、僕みたいな人間は、人望のある人をスピーカーとして利用するしかないんですね。そうせざるを得ませんし、その方が圧倒的に楽ですし。

つまり、「何を教わるかではなくて、誰に教わるかが問題」なんです。

学校の学級は、基本的に、一年間は固定されます。教員と子供の相性が合わなかった場合、その子供は、学習自体を嫌なものとして認知してしまうかもしれません。

現に、大人になってから「こんな先生に教わっていれば、○○(教科や科目)が好きになれたかもしれない」と思うことがありますよね。これは結局、マッチングで問題が生じたせいで、機会損失に見舞われたということに他なりません。そのことをもっと怒らないと。

少人数学級セット

で、少人数学級というのは、マッチングの影響が大きくなるんです。

少人数学級は、教員と子供の人間関係が濃くなります。これが目が行き届くということ。相性が合ったときの好影響も大きくなりますが、相性が合わなかったときの悪影響も大きくなります。

問題は、その悪影響への対処がないことなんです。

マッチングの問題が起きたとき、子供の側が泣き寝入りするしかないんですよ。制度上は、別の学校へ移ることもできるのですが、実際は、後々の人間関係を考えると、そんなことを言い出せないというのが現実です。だから、泣き寝入りするしかない。

少人数学級を推進するなら、この問題への対処もセットにするべきなんです。

まとめ

そんなわけで、少人数学級の話でした。

少人数学級には、メリットとデメリットがあります。この場合、メリットだけを見て推し進めるべきではありませんし、デメリットだけを見て反対するべきでもありません。

推し進めるのであれば、デメリット対策もセットにして欲しいところです。

その際に注文をつけるとしたら、属人的な問題にはして欲しくありませんね。教員や子供のがんばりでどうにか回るというのは、制度設計者の無能や怠慢を示すことです。

なんでもそうですけど、がんばらないとうまく回らないのはダメです。

こういう発想は、スーパーマンがいれば何でも解決すると考えるのと同じです。そうではなくて、平凡な人間が最低限のことをしていればうまく回るという制度を設計するべきなんです。そういうものへの署名なら喜んで引き受けますので、早く成果を見せてください。