冬季オリンピックの真っ只中ですね。

と言っても、まるで興味がないので、どこの銀河系でやっているのかも知りません。報道で耳にすることがあるということは、割りと近くの銀河系でやっているのでしょうか。

早く終わってほしいですね。いまやってるオリンピックも東京オリンピックも。

などとオリンピックを毛嫌いしているわけですが、それにはちゃんとした理由があります。オリンピックは、スポーツを冒涜していると思っているからです。以下、屁理屈。

ダメな金メダル

もう二十年ぐらい前に、こんなことがありました。

冬季オリンピックで、チームのメンバーそれぞれの記録の合計で競う競技があったんですよ。スキージャンプだったかと思うのですがはっきりしません。その競技で、日本チームが金メダルを取ったんですね。各報道番組はお祭り騒ぎです。「日本チームすごい」と。

ところが、そこに水を差した人がいたんです。江川卓です。

金メダルは取ったものの、チームの一人が大きなミスをしたんですよ。おかげで、ギリギリの金メダルでした。江川はそのことを指摘し、その選手のミスがなければもっと楽に勝てたはずだと批判を展開したんです。

この「楽に勝つ」というのは、確率論の話です。

チームの一人が大きなミスをしたせいで、他のメンバーは小さなミスもできない状況になりました。プレッシャーは大きくなって、ミスをする確率が上がります。勝つ確率が下がります。

最善を尽くすというのは、目標達成に近づくための確率の積み重ねです。

そして、この積み重ねがうまくできたかどうかこそ、評論すべきことなんです。勝った負けたは見れば分かります。でも、積み重ねがうまくできたかどうかは素人には分かりません。だから、評論家の分析が必要なのでしょう。勝った負けたと喜んでいる評論家など不要です。

スポーツ報道に求めるもの

あれから二十年。

スポーツ報道は、よりブーム重視の方へと進んでいるように思えます。スポーツは、一喜一憂するためのきっかけや感動話を導くための小道具になり下げられたままです。

そんなのはクソくだらないと思うんですよね。

人間の能力のほとんどは、生まれながらに決まっています。一般的に言われる「能力が伸びる」とは、「能力の上限が伸びる」ことではなく、「発揮される能力の割合が増える」ことです。

だから、スポーツを見る楽しみとは、生まれながらに身体能力のすごい人が、自分の能力を最大限までに発揮する姿を見ることという、二重性を持っていると言えます。

そうであれば、スポーツ報道というのは、その人の身体能力はどこがどうすごいのか、そして、その能力を発揮するためにどのような準備をして、実際にどのように発揮されているのか、そういったところを分かりやすく解説することでないとおかしいでしょ。

誰が見ても分かる勝った負けたを報じることに意味はありません。

ましてや、そこに感動話を付け加えるなどもってのほかです。「努力は報われる」という幻想を追い求める、人間の愚かさを見せられてもいい気分はしませんよ。

まとめ

そんなわけで、スポーツ報道に思うことでした。

思えば、十代のころはスポーツ中継をよく見ていたのですが、次第に「クソくだらない」と思うようになり、ここ何年かは大好きだった野球も観なくなりました。

スポーツ報道がくだらないせいで、スポーツそのものへの興味が失せたという感じです。

スポーツは、見方を知ると、ものすごく面白くなるんですよね。野球で言うと、スポーツニュースで取り上げられるようなホームランのシーンはあまり面白くないんですよ。

それよりも、その直前の「打てる球を敢えて打たずに見逃したシーン」の方が面白かったりします。このシーンはスポーツニュースではまず流れません。スポーツ新聞にも取り上げられません。なぜ打たなかったのか、その解説を聞くと、一気に理解が深まります。

と、書いていて思い出したのですが、以前、似たようなことを書いてましたね……。