一 ハマユウ

「ふぅ……」

木陰が重なる小径を抜けて堤防の上に出ると、もう立冬も近いというのに日差しが容赦ない。わざわざ上着を羽織ってきたのに、これならいらなかったなと恨めし気に空を見上げた。

日はもう高かった。普段はもっと早い時間に歩く。今日は特別だ。孫のミオが少し先の入り江で清掃活動をしている。孫に会うための散歩だ。

特別と言えば、海岸を歩くこともそうだ。周りに気づかれることはあまりないが、足がよくない。普段は舗装された平坦な道を歩くようにしている。

いま歩いている堤防は「人工」のものではない。かと言って、「自然」のものでもない。いつかの戦争の影響で地盤が隆起してできたものだと聞く。たわんで凹凸が多いのはその由来のせいかもしれない。

十一年前、サガミトラフを起因とする大きな地震があった。数メートルの津波が押し寄せたが、この堤防が街を守った。かつて負の遺産と呼ばれたものが正の遺産となったわけだ。何がどう転ぶかわからない。

再び「ふぅ」と息がこぼれる。背中にじんわりと汗を感じる。ショルダーバッグを下ろして上着を脱いだ。ついでにシャツの袖を捲ると、すぐに腕がじりじりと灼かれる感じがした。

暑さから目を背けるように振り返ると、低い山が見える。あの向こうには、かつて軍港があった。津波に流され、再開発計画はあるものの、進捗は思わしくないらしい。

ハルオ・ヤーチもまた元軍人だ。人型機動兵器で戦った。宇宙そらにこそ出たことはないが、若くして地上部隊の小隊長を任されたこともある。

そのときに、あのダブリンを経験した。すべての部下を失い、自分だけが生き残った。足を悪くし、後方の支援部隊へ転属することになった。軍が用意したいくつかの選択肢から、ここ、ヨコスカを選んだ。ニホンには自分の名前のルーツがある。

山の向こう元軍港は、昔の職場だ。そこでエリーと出会った。結婚し、子をもうけた。孫もできた。随分と遠くへ来たものだと思う。

強い風が砂を舞い上げた。咄嗟に顔を背けてやり過ごしたつもりが、口の中に砂が入った。ざらつきと苦みがある。ハルオは、それを吐き出すことができなかった。

潮の匂いが鼻を刺した。バッグからフォンを取り出して時刻を見る。思いのほか時間が経っていた。歩みが止まっていたことに気づいた。ミオとの約束に遅れてしまう。ミオは、コミュニティ・ラーニングの一環で、地域の人々と清掃活動をしている。活動場所はさまざまだが、うちから近いときには合流して一緒に食事を摂る。それがミオとの約束だ。

砂浜に目を向けると、こんな季節なのに、人がちらほらいる。中には、波打ち際の浅瀬とは言え、海に入っている者もいる。今日は気持ちいいかもしれない。そう思って、また空を見上げた。強い日差しに、ウミネコが照らされ、輝いて見える。

その鳴き声に、子供たちの声が混じるようになってきた。二十人ぐらいの塊が見える。おそらくあれだ。ゴミ拾いは終わってしまったようで、子供たちは、虫眼鏡をかざすように、手に持ったフォンを集めたゴミにかざしている。カメラを向けることでゴミの判別ができるらしい。フォンは、携帯用の情報端末だ。

ミオの参加するコミュニティグループでは、十年前から清掃活動をしているらしい。当時は災害ゴミも少なくなかったから、それがきっかけだったのかもしれない。その取り組みがいまに至るまで受け継がれているという。ミオはその六代目のグループリーダーだ。

見ると、低学年らしき小さい子もいる。分別作業に飽きたようで走り回っているものもいる。あっ、そのうちの一人が転んだ。それに気づいた一人の女児が駆け寄る。左腕に白い腕章が見えた。ミオだ。転んだ子が起き上がるのを助けると、目線を合わせるように屈み込み、頷きながら何やらしゃべっている。

ハルオはその様子を視界の隅に捉えながら、砂浜へと下りた。足に何か引っ掛かりを感じて視線を落とすと、つる草だった。すっかり色が褪せているが、そこら中に這っている。なるほど、足を取られるわけだ。

そういえば、と、あたりを見回す。肉厚でつやのある濃緑色の大きな葉に目を留めた。何と言ったか。昔、エリーに何度か教えてもらったことがあるのに名が出てこない。夏の夜に香りが強くなると……。

「おじいちゃん!」

不意に声を掛けられ、ハルオは目を彷徨わせた。じゃっじゃっと、砂を蹴りながらミオが駆けてくる。

「やあ、やってるね」

ミオは一仕事終えたと言わんばかりに「まあ、何とかね」と応えた。ぱたぱたと左手で顔を扇ぐ。それに合わせて腕章が揺れる。

「それ、よく似合ってるな」

「ん?」

ハルオは目を細めて、「ちゃんと下の子の面倒を見ている」と言って腕章をつついた。

「ああ。一応、高学年ですから」

「そうだな」

「もうちょっと待っててね。ミーティングが終わったら解散だから」

「来るのが遅くなっちゃって。何も手伝えなかった」

「いいよ。パフェ注文しちゃうから」

ミオがそう笑ったとき、ブザーの音が聞こえた。集合の合図だ。

「ちょっと行ってくるね」

「ああ」

ミオは再び砂を蹴って駆け出した。

ハルオには、その遠ざかる背中が眩しく見えた。若かりしころのエリーの姿が重なる。エリーは海が好きだった。たまに来ると、砂浜を走る感触が好きだと言って、ハルオを置いて一人駆け出したものだ。そして、あの日、本当に置いていかれてしまった。

子供たちの声が一層賑やかになった。ミーティングが終わったか。

急に名残惜しい感じがして、さっきの大きな葉に目を戻した。エリーと花火を見た夏の夜、確かにいい香りが……。

そうだ、ハマユウだ。このあたりの縁の花らしい。