五
女性はスマートフォンをちらりと見て、静かに立ち上がった。
「そろそろ、タクシーが来ると思うので」
声になりそこねた吐息が喉につかえた。女性は、膝をかがめて鞄を持ち上げると、「私、これから、行きたくないところへ行くんです」と告げた。
「えっ?」
今度は声が出た。女性を見上げたが、電灯が逆行になっていて、表情は窺えない。反応を探しているうちに、女性は、来たときと同じように会釈をすると、靴音を残して駅舎を出て行った。車の音が近づいてくる。
追うように駅舎を出ると、女性はこちらに気づき、もう一度会釈をした。視線を切ってタクシーに乗り込むその横顔がルームランプの灯る車内へと消えていく。バタンとドアが閉まり、タクシーはゆっくりと動き出した。
ホームに戻り、立ったまま、暗闇の中を遠ざかるテールランプを目で追った。ベンチに腰を下ろしたときには、もう、座布団は冷たくなっていた。
(了)