しばらくして、女性が戻ってきた。

鞄を足元に下ろし、ベンチに腰を掛けると、「タクシーを呼びました」と言った。それを聞いてはっとした。自分もどうするかを考えないといけなかった。

「来ないですもんね、電車」

「はい」

「ご旅行ですか?」

「えっ?」

「すみません。大きな鞄をお持ちなので」

「ああ」

女性は鞄に目を向けると、「そういうわけでは……」と消え入るように答えた。次の言葉を待とうかとも思ったが、女性の目が伏せられたままだったので、二度三度、大きく頷いて見せて、暗闇に向けて「そうですか」とだけ発して話を切り上げた。

背もたれから体を起こし、伸びをしたとき――

「さっき、電柱を見てました?」

唐突に、女性がそう言った。どんな顔をして、振り向いたのか、わからない。

「……空き地の真ん中の?」

「じっと、見つめてらっしゃったので」

女性は、少し間を置いて、くすっと笑った。

倣うように笑ったあと、目を逸らし、ホームの白線を見た。そのかすれ具合をなぞりながら、長い息を吐いた。

「あの電柱、何なんです? なんであんなところに?」

「さあ。私が子供のころからあるんです」

「へえ」

「あるのが当たり前で、考えたこともなかったですけど、いま思えば、変な電柱ですよね」

「変な電柱……ですよね」

女性は視線を少し落としてから、「でも……ずっと、あるんですよ」と言った。息を飲んだ。電柱はずっとある――その言葉が、大きな手で乱暴に撫でられたときのざらついた感触を、なぜか、やわらげた気がした。息が一度、深く入った。あの電柱を思い返す。しかし、電柱がどこにあったのか、ずっと残っていた影も、もうはっきりとしない。頬の紅潮に気づいて、手を当てたときだった。