四 クグロフ

辻に差し掛かると、風がすさぶように吹き、肌に冷たい痛みを覚えた。思わず首をすくめたとき、バスケットが煽られ、慌てて抱え込んだ。

かじかんだ手でドアノッカーを叩く。風の音で聞こえないかしらと心配したが、ほどなくして閂を外す音が聞こえた。ゾルダンはドアを開けて私を見つけると、「あなたは、確か……」と思い出す素振りを見せた。

「こんにちは、ゾルダンさん。ミリアです」

「失礼。ミリアさん。こんにちは」

「すみません。また来ちゃいました」

ゾルダンは風に激しく揺さぶられる木々の枝を見て、「この風の中、ご足労でした。しかし、魔法は……」と言いかけたところで。

「一緒にお菓子を食べようと思いまして」

魔法は使わない、そう言われる前に機先を制した。ゾルダンにほんのわずかに戸惑いの間が生まれた。

「……そうですか。一緒にお菓子を」

「はい」

私は、できる限り、真っ直ぐにゾルダンの目を見るように努めた。ここが攻めどころだと思った。

「外は風が冷たいでしょう。中にお入りなさい」

「ありがとうございます。お邪魔します」

魔法使いの家の中に入れる。胸がざわめいた。

家の中は、庶民の家とは別世界だった。

鈍い光を落とすガラスの窓、木の板でできた床、何枚にも重ねられた敷物、煤一つない白い壁、どれも見慣れないものばかりで、目が奪われた。ぽかんと口が開いていたことに気づいて慌てて閉じた。

このホールにしてもそうだ。煙突につながる暖炉だけではない。壁際には、いかにも高級そうな家具や調度品が並んでいる。その中に、立派な椅子があった。埃をかぶっているせいか、並ぶというより、追いやられているという印象を受けた。

なぜ、あの椅子を使わないのだろう。そう思って、いま腰掛けている、素朴な椅子と見比べた。

「お待たせしました」

ゾルダンが戻ってくると、スパイスの香りが部屋を支配した。

「体が温まるといいのですが」

ゾルダンはそう言って、運んできたボウルをテーブルの真ん中に置いた。立ち上る湯気に乗ったリンゴの甘酸っぱい香りに唾液が誘われる。

「すごくいい香りですね。私の家のラムズウールとは全然違います」

「ありがとうございます」

社交辞令と受け取られたかもしれないが、実際、そのラムズウールの香りには、理性的で上品な感じがした。どこか彼らしい落ち着きがあった。

ゾルダンはそれをラドルでメーザーに注ぎ、「どうぞ」と差し出した。

「いただきます」

一口飲むと、「わあ……」と思わず声が出た。自分でも顔がほころんでいるのがわかる。余計な甘さがなく、静かに温まるような味だ。

「お口に合ったようで、よかったです」

ゾルダンは静かに微笑んだ。目尻の皺の深さに懐かしさを覚えた。

「そうだ」

ラムズウールを飲んで、口寂しいと感じて思い出した。バスケットから、クグロフを取り出した。

「今朝、市場で買ってきたものです」

「クグロフですか」

ゾルダンの頬が上がったように見えた。

「はい。お口に合いますかわかりませんが」

「ありがとうございます。クグロフは好物です」

クグロフを頬張りながら、ゾルダンと話をした。

ゾルダンは、半年ほど前にこの森にやってきたという。それまであちこちを転々としてきたらしい。

知らない土地の話は面白かった。大きな滝の話、雲より高い山の話。世界は広いと思うと同時に、自分の見ている世界はなんて狭いんだろう……そう思った。

「ミリアさん」

そう声を掛けられて、目が覚めた。

「そろそろお帰りなさい。日が沈む前に街へ戻ったほうがいいですよ」

慌てて「帰ります」と立ち上がった。そして。

「あの……またお話を聞きに来てもいいですか?」

顔を伏せたままそう尋ねた。

「ええ、また今度」

「ありがとうございます。それでは」

それだけ言ってゾルダン宅を飛び出した。夕暮れの冷たい風が火照った頬に心地よかった。